夫人《ふじん》と少年《せうねん》

夫人《ふじん》と少年《せうねん》とを其《その》船室《キヤビン》に送《おく》つて、明朝《めうてう》を契《ちぎ》つて自分《じぶん》の船室《へや》に歸《かへ》つた時《とき》、八點鐘《はつてんしよう》の號鐘《がうしよう》はいと澄渡《すみわた》つて甲板《かんぱん》に聽《きこ》えた。`『おや、もう十二|時《じ》!』と私《わたくし》は獨語《どくご》した。既《すで》に夜《よる》深《ふか》く、加《くわ》ふるに當夜《このよ》は浪《なみ》穩《おだやか》にして、船《ふね》に些《いさゝか》の動搖《ゆるぎ》もなければ、船客《せんきやく》の多數《おほかた》は既《すで》に安《やす》き夢《ゆめ》に入《い》つたのであらう、たゞ蒸※[#「さんずい+氣」、第4水準2-79-6]機關《じようききくわん》の響《ひゞき》のかまびすしきと、折々《をり/\》當番《たうばん》の船員《せんゐん》が靴音《くつおと》高《たか》く甲板《かんぱん》に往來《わうらい》するのが聽《きこ》ゆるのみである。`私《わたくし》は衣服《ゐふく》を更《あらた》めて寢臺《ねだい》に横《よこたわ》つたが、何故《なぜ》か少《すこ》しも眠《ねぶ》られなかつた。船室《キヤビン》の中央《ちゆうわう》に吊《つる》してある球燈《きゆうとう》の光《ひかり》は煌々《くわう/\》と輝《かゞや》いて居《を》るが、どうも其邊《そのへん》に何《なに》か魔性《ませう》でも居《を》るやうで、空氣《くうき》は頭《あたま》を壓《おさ》へるやうに重《おも》く、實《じつ》に寢苦《ねぐる》しかつた。諸君《しよくん》も御經驗《ごけいけん》であらうが此樣《こん》な時《とき》にはとても眠《ねむ》られるものではない、氣《き》を焦《いらだ》てば焦《いらだ》つ程《ほど》眼《まなこ》は冴《さ》えて胸《むね》にはさま/″\の妄想《もうざう》が往來《わうらい》する。`私《わたくし》は思《おも》ひ切《き》つて再《ふたゝ》び起上《おきあが》つた。

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