雷がごろごろと鳴る

[#8字下げ]三[#「三」は中見出し]

 稲妻がまたぴかりと閃き、雷がごろごろと鳴ると、女はわざとらしく「あら」と叫び、一歩《ひとあし》後《おく》れて歩こうとするわたくしの手を取り、「早くさ。あなた。」ともう馴れ馴れしい調子である。「いいから先へお出で。ついて行くから。」 路地へ這入ると、女は曲るたび毎に、迷わぬようにわたくしの方に振返りながら、やがて溝《どぶ》にかかった小橋をわたり、軒並一帯に葭簀《よしず》の日蔽《ひおい》をかけた家の前に立留った。「あら、あなた。大変に濡れちまったわ。」と傘をつぼめ、自分のものよりも先に掌《てのひら》でわたくしの上着の雫《しずく》を払う。「ここがお前の家《うち》か。」「拭《ふ》いて上げるから、寄っていらっしゃい。」「洋服だからいいよ。」「拭いて上げるっていうのにさ。わたしだってお礼がしたいわよ。」「どんなお礼だ。」「だから、まアお這入んなさい。」 雷《かみなり》の音は少し遠くなったが、雨は却て礫《つぶて》を打つように一層激しく降りそそいで来た。軒先に掛けた日蔽の下に居ても跳上《はねあが》る飛沫《しぶき》の烈しさに、わたくしはとやかく言う暇《いとま》もなく内へ這入った。 荒い大阪格子を立てた中仕切へ、鈴のついたリボンの簾《すだれ》が下げてある。其下の上框《あがりがまち》に腰をかけて靴を脱ぐ中《うち》に女は雑巾《ぞうきん》で足をふき、端折《はしょ》った裾もおろさず下座敷の電燈をひねり、「誰もいないから、お上んなさい。」「お前一人か。」

— posted by id at 03:29 pm  

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