女は口をゆがめて

 女は口をゆがめて、懐紙《ふところがみ》で生際の油をふきながら、中仕切の外の壁に取りつけた洗面器の前に立った。リボンの簾越しに、両肌《もろはだ》をぬぎ、折りかがんで顔を洗う姿が見える。肌は顔よりもずっと色が白く、乳房の形で、まだ子供を持った事はないらしい。「何だか檀那になったようだな。こうしていると。箪笥《たんす》はあるし、茶棚はあるし……。」「あけて御覧なさい。お芋か何かある筈よ。」「よく片づいているな。感心だ。火鉢の中なんぞ。」「毎朝、掃除だけはちゃんとしますもの。わたし、こんな処にいるけれど、世帯持は上手なのよ。」「長くいるのかい。」「まだ一年と、ちょっと……。」「この土地が初めてじゃないんだろう。芸者でもしていたのかい。」 汲《く》みかえる水の音に、わたくしの言うことが聞えなかったのか、又は聞えない振りをしたのか、女は何とも答えず、肌ぬぎのまま、鏡台の前に坐り毛筋棒《けすき》で鬢《びん》を上げ、肩の方から白粉をつけ初める。「どこに出ていたんだ。こればかりは隠せるものじゃない。」「そう……でも東京じゃないわ。」「東京のいまわりか。」「いいえ。ずっと遠く……。」「じゃ、満洲……。」

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