為永春水《ためながしゅんすい》の小説を読んだ人

「宇都の宮にいたの。着物もみんなその時分のよ。これで沢山だわねえ。」と言いながら立上って、衣紋竹《えもんだけ》に掛けた裾模様の単衣物《ひとえ》に着かえ、赤い弁慶縞の伊達締《だてじめ》を大きく前で結ぶ様子は、少し大き過る潰島田の銀糸とつりあって、わたくしの目にはどうやら明治年間の娼妓のように見えた。女は衣紋を直しながらわたくしの側に坐り、茶ぶ台の上からバットを取り、「縁起だから御|祝儀《しゅうぎ》だけつけて下さいね。」と火をつけた一本を差出す。 わたくしは此の土地の遊び方をまんざら知らないのでもなかったので、「五十銭だね。おぶ代《だい》は。」「ええ。それはおきまりの御規則通りだわ。」と笑いながら出した手の平を引込まさず、そのまま差伸している。「じゃ、一時間ときめよう。」「すみませんね。ほんとうに。」「その代り。」と差出した手を取って引寄せ、耳元に囁《ささや》くと、「知らないわよ。」と女は目を見張って睨《にらみ》返し、「馬鹿。」と言いさまわたくしの肩を撲《う》った。 為永春水《ためながしゅんすい》の小説を読んだ人は、作者が叙事のところどころに自家弁護の文を挾《さしはさ》んでいることを知っているであろう。初恋の娘が恥しさを忘れて思う男に寄添うような情景を書いた時には、その後で、読者はこの娘がこの場合の様子や言葉使のみを見て、淫奔娘《いたずらもの》だと断定してはならない。深窓の女《じょ》も意中を打明ける場合には芸者も及ばぬ艶《なまめか》しい様子になることがある。また、既に里馴れた遊女が偶然|幼馴染《おさななじみ》の男にめぐり会うところを写した時には、商売人《くろと》でも斯《こ》う云う時には娘のようにもじもじするもので、これはこの道の経験に富んだ人達の皆承知しているところで、作者の観察の至らないわけではないのだから、そのつもりでお読みなさいと云うような事が書添えられている。 わたくしは春水に倣《なら》って、ここに剰語を加える。読者は初めて路傍で逢った此女《このおんな》が、わたくしを遇する態度の馴々し過るのを怪しむかも知れない。然しこれは実地の遭遇を潤色せずに、そのまま記述したのに過ぎない。何の作意も無いのである。驟雨《しゅうう》雷鳴から事件の起ったのを見て、これまた作者|常套《じょうとう》の筆法だと笑う人もあるだろうが、わたくしは之を慮《おもんばか》るがために、わざわざ事を他に設けることを欲しない。夕立が手引をした此夜の出来事が、全く伝統的に、お誂《あつらい》通りであったのを、わたくしは却て面白く思い、実はそれが書いて見たいために、この一篇に筆を執り初めたわけである。 一体、この盛場の女は七八百人と数えられているそうであるが、その中に、島田や丸髷に結っているものは、十人に一人くらい。大体は女給まがいの日本風と、ダンサア好みの洋装とである。雨宿《あまやどり》をした家の女が極く少数の旧風に属していた事も、どうやら陳腐の筆法に適当しているような心持がして、わたくしは事実の描写を傷《きずつ》けるに忍びなかった。 雨は歇《や》まない。

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