二階へ持って行きます

「二階へ持って行きます。目につくから。」とすみ子は自分のスリッパーを男にはかせ、その下駄を手にさげて正面の階段を先に立って上る。 外側の壁や窓は西洋風に見えるが、内《なか》は柱の細い日本造りで、ぎしぎし音のする階段を上りきった廊下の角に炊事場があって、シュミイズ一枚の女が、断髪を振乱したまま薬鑵《やかん》に湯をわかしていた。「今晩。」とすみ子は軽く挨拶をして右側のはずれから二番目の扉を鍵《かぎ》であけた。 畳のよごれた六畳ほどの部屋で、一方は押入、一方の壁際には箪笥《たんす》、他の壁には浴衣《ゆかた》やボイルの寝間着がぶら下げてある。すみ子は窓を明けて、「ここが涼しいわ。」と腰巻や足袋《たび》の下っている窓の下に座布団を敷いた。「一人でこうしていれば全く気楽だな。結婚なんか全く馬鹿らしくなるわけだな。」「家《うち》ではしょっちゅう帰って来いッて云うのよ。だけれど、もう駄目ねえ。」「僕ももう少し早く覚醒《かくせい》すればよかったのだ。今じゃもう晩《おそ》い。」と種田は腰巻の干してある窓越しに空の方を眺めたが、思出したように、「明間《あきま》があるか、きいてくれないか。」 すみ子は茶を入れるつもりと見えて、湯わかしを持ち、廊下へ出て何やら女同士で話をしていたが、すぐ戻って来て、「向《むこう》の突当りが明いているそうです。だけれど今夜は事務所のおばさんが居ないんですとさ。」「じゃ、借りるわけには行かないな。今夜は。」「一晩や二晩、ここでもいいじゃないの。あんたさえ構わなければ。」「おれはいいが。あんたはどうする。」と種田は眼を円くした。

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