乱暴でも何でもかまわない

「わたし。此処《ここ》に寝るわ。お隣りの君ちゃんのとこへ行ってもいいのよ。彼氏が来ていなければ。」「あんたの処《とこ》は誰も来ないのか。」「ええ。今のところ。だから構わないのよ。だけれど、先生を誘惑してもわるいでしょう。」 種田は笑いたいような、情ないような一種妙な顔をしたまま何とも言わない。「立派な奥さんもお嬢さんもいらっしゃるんだし……。」「いや、あんなもの。晩蒔《おそまき》でもこれから新生涯に入るんだ。」「別居なさるの。」「うむ。別居。むしろ離別さ。」「だって、そうはいかないでしょう。なかなか。」「だから、考えているんだ。乱暴でも何でもかまわない。一時姿を晦《くらま》すんだな。そうすれば決裂の糸口がつくだろうと思うんだ。すみ子さん。明部屋のはなしが付かなければ、迷惑をかけても済まないから、僕は今夜だけ何処《どこ》かで泊ろう。玉の井でも見物しよう。」「先生。わたしもお話したいことがあるのよ。どうしようかと思って困ってる事があるのよ。今夜は寝ないで話をして下さらない。」「この頃はじき夜があけるからね。」「このあいだ横浜までドライブしたら、帰り道には明くなったわ。」「あんたの身上話は、初めッから聞いたら、女中で僕の家《いえ》へ来るまででも大変なものだろう。それから女給になってから、まだ先があるんだからな。」「一晩じゃ足りないかも知れないわね。」「全く……ははははは。」 一時《ひとしきり》寂《しん》としていた二階のどこやらから、男女の話声が聞え出した。炊事場では又しても水の音がしている。すみ子は真実夜通し話をするつもりと見えて、帯だけ解いて丁寧に畳み、足袋を其上に載せて押入にしまい、それから茶ぶ台の上を拭直《ふきなお》して茶を入れながら、「わたしのこうなった訳、先生は何だと思って。」

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