今年の夏

 今年の夏も、昨年また一昨年と同じように、毎日まだ日の没しない中《うち》から家を出るが、実は行くべきところ、歩むべきところが無い。神代帚葉翁《こうじろそうようおう》が生きていた頃には毎夜欠かさぬ銀座の夜涼みも、一夜《いちや》ごとに興味の加《くわわ》るほどであったのが、其人も既に世を去り、街頭の夜色にも、わたくしはもう飽果《あきは》てたような心持になっている。之に加えて、其後銀座通にはうっかり行かれないような事が起った。それは震災|前《ぜん》新橋の芸者家に出入していたと云う車夫が今は一見して人殺しでもしたことのありそうな、人相と風体《ふうてい》の悪い破落戸《ならずもの》になって、折節《おりふし》尾張町辺を徘徊《はいかい》し、むかし見覚えのあるお客の通るのを見ると無心難題を言いかける事である。 最初《はじめ》黒沢商店の角で五拾銭銀貨を恵んだのが却て悪い例となり、恵まれぬ時は悪声を放つので、人だかりのするのが厭《いや》さにまた五拾銭やるようになってしまう。此男に酒手《さかて》の無心をされるのはわたくしばかりではあるまいと思って、或晩欺いて四辻の派出所へ連れて行くと、立番の巡査とはとうに馴染になっていて、巡査は面倒臭さに取り合ってくれる様子をも見せなかった。出雲町《いずもちょう》……イヤ七丁目の交番でも、或日巡査と笑いながら話をしているのを見た。巡査の眼にはわたくしなどより此男の方が却て素姓が知れているのかも知れない。 わたくしは散策の方面を隅田河の東に替え、溝際《どぶぎわ》の家に住んでいるお雪という女をたずねて憩《やす》むことにした。 四五日つづけて同じ道を往復すると、麻布《あざぶ》からの遠道も初めに比べると、だんだん苦にならないようになる。京橋と雷門《かみなりもん》との乗替も、習慣になると意識よりも身体《からだ》の方が先に動いてくれるので、さほど煩《わずらわ》しいとも思わないようになる。乗客の雑沓《ざっとう》する時間や線路が、日によって違うことも明《あきらか》になるので、之を避けさえすれば、遠道だけにゆっくり本を読みながら行くことも出来るようになる。 電車の内《なか》での読書は、大正九年の頃老眼鏡を掛けるようになってから全く廃せられていたが、雷門までの遠道を往復するようになって再び之を行うことにした。然し新聞も雑誌も新刊書も、手にする習慣がないので、わたくしは初めての出掛けには、手に触れるがまま依田学海《よだがくかい》の墨水二十四景を携えて行った。[#ここから2字下げ]

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