わたくしがふと心易くなった溝際の家

 わたくしがふと心易くなった溝際の家……お雪という女の住む家が、この土地では大正開拓期の盛時を想起《おもいおこ》させる一隅に在ったのも、わたくしの如き時運に取り残された身には、何やら深い因縁があったように思われる。其家は大正道路から唯《と》ある路地に入り、汚れた幟《のぼり》の立っている伏見稲荷の前を過ぎ、溝に沿うて、猶《なお》奥深く入り込んだ処に在るので、表通のラディオや蓄音機の響も素見客《ひやかし》の足音に消されてよくは聞えない。夏の夜、わたくしがラディオのひびきを避けるにはこれほど適した安息処は他にはあるまい。 一体この盛場では、組合の規則で女が窓に坐る午後四時から蓄音機やラディオを禁じ、また三味線をも弾《ひ》かせないと云う事で。雨のしとしとと降る晩など、ふけるにつれて、ちょいとちょいとの声も途絶えがちになると、家の内外《うちそと》に群《むらが》り鳴く蚊の声が耳立って、いかにも場末の裏町らしい侘《わび》しさが感じられて来る。それも昭和現代の陋巷《ろうこう》ではなくして、鶴屋南北の狂言などから感じられる過去の世の裏淋しい情味である。 いつも島田か丸髷《まるまげ》にしか結っていないお雪の姿と、溝の汚さと、蚊の鳴声《なくこえ》とはわたくしの感覚を著しく刺戟《しげき》し、三四十年むかしに消え去った過去の幻影を再現させてくれるのである。わたくしはこのはかなくも怪し気なる幻影の紹介者に対して出来得ることならあからさまに感謝の言葉を述べたい。お雪さんは南北の狂言を演じる俳優よりも、蘭蝶《らんちょう》を語る鶴賀なにがしよりも、過去を呼返す力に於ては一層巧妙なる無言の芸術家であった。 わたくしはお雪さんが飯櫃《おはち》を抱きかかえるようにして飯をよそい、さらさら音を立てて茶漬《ちゃづけ》を掻込《かっこ》む姿を、あまり明くない電燈の光と、絶えざる溝蚊《どぶか》の声の中にじっと眺めやる時、青春のころ狎《な》れ※[#「日+匿」、第4水準2-14-16]《した》しんだ女達の姿やその住居《すまい》のさまをありありと目の前に思浮べる。わたくしのものばかりでない。友達の女の事までが思出されて来るのである。そのころには男を「彼氏」といい、女を「彼女」とよび、二人の侘住居を「愛の巣」などと云う言葉はまだ作り出されていなかった。馴染《なじみ》の女は「君」でも、「あんた」でもなく、ただ「お前」といえばよかった。亭主は女房を「おッかア」女房は亭主を「ちゃん」と呼ぶものもあった。 溝の蚊の唸《うな》る声は今日《こんにち》に在っても隅田川を東に渡って行けば、どうやら三十年前のむかしと変りなく、場末の町のわびしさを歌っているのに、東京の言葉はこの十年の間に変れば実に変ったものである。

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