お雪さんが初めて逢った日の事

 わたくしは今、お雪さんが初めて逢った日の事を咏嘆的な調子で言出したのに対して、答うべき言葉を見付けかね、煙草の烟《けむり》の中にせめて顔だけでもかくしたい気がしてまたもや巻煙草を取出した。お雪は黒目がちの目でじっと此方《こなた》を見詰めながら、「あなた。ほんとに能く肖《に》ているわ。あの晩、あたし後姿を見た時、はっと思ったくらい……。」「そうか。他人のそら肖って、よくある奴さ。」わたくしはまア好かったと云う心持を一生懸命に押隠した。そして、「誰に。死んだ檀那に似ているのか。」「いいえ。芸者になったばかりの時分……。一緒になれなかったら死のうと思ったの。」「逆上《のぼ》せきると、誰しも一時はそんな気を起す……。」「あなたも。あなたなんぞ、そんな気にゃアならないでしょう。」「冷静かね。然し人は見掛によらないもんだからね。そう見くびったもんでもないよ。」 お雪は片靨《かたえくぼ》を寄せて笑顔をつくったばかりで、何とも言わなかった。少し下唇の出た口尻の右側に、おのずと深く穿《うが》たれる片えくぼは、いつもお雪の顔立を娘のようにあどけなくするのであるが、其夜にかぎって、いかにも無理に寄せた靨のように、言い知れず淋しく見えた。わたくしは其場をまぎらす為に、「また歯がいたくなったのか。」「いいえ。さっき注射したから、もう何ともない。」 それなり、また話が途絶えた時、幸にも馴染《なじみ》の客らしいものが店口の戸を叩いてくれた。お雪はつと立って窓の外に半身を出し、目かくしの板越しに下を覗《のぞ》き、「アラ竹さん。お上んなさい。」 馳《か》け降りる後《あと》からわたくしも続いて下り、暫く便所の中に姿をかくし客の上ってしまうのを待って、音のしないように外へ出た。

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