穿き馴れぬ古下駄

 わたくしは素足に穿き馴れぬ古下駄を突掛《つッか》けているので、物に躓《つまず》いたり、人に足を踏まれたりして、怪我をしないように気をつけながら、人ごみの中を歩いて向側の路地の突当りにある稲荷に参詣《さんけい》した。ここにも夜店がつづき、祠《ほこら》の横手の稍《やや》広い空地は、植木屋が一面に並べた薔薇《ばら》や百合《ゆり》夏菊などの鉢物に時ならぬ花壇をつくっている。東清寺本堂|建立《こんりゅう》の資金寄附者の姓名が空地の一隅に板塀の如くかけ並べてあるのを見ると、この寺は焼けたのでなければ、玉の井稲荷と同じく他所《よそ》から移されたものかも知れない。 わたくしは常夏《とこなつ》の花一鉢を購《あがな》い、別の路地を抜けて、もと来た大正道路へ出た。すこし行くと右側に交番がある。今夜はこの辺《あたり》の人達と同じような服装《みなり》をして、植木鉢をも手にしているから大丈夫とは思ったが、避けるに若《し》くはないと、後戻りして、角に酒屋と水菓子屋のある道に曲った。 この道の片側に並んだ商店の後《うしろ》一帯の路地は所謂《いわゆる》第一部と名付けられたラビラントで。お雪の家の在る第二部を貫くかの溝は、突然第一部のはずれの道端に現われて、中島湯という暖簾《のれん》を下げた洗湯《せんとう》の前を流れ、許可地|外《そと》の真暗な裏長屋の間に行先を没している。わたくしはむかし北廓を取巻いていた鉄漿溝《おはぐろどぶ》より一層不潔に見える此溝も、寺島町がまだ田園であった頃には、水草《みずくさ》の花に蜻蛉《とんぼ》のとまっていたような清い小流《こながれ》であったのであろうと、老人《としより》にも似合わない感傷的な心持にならざるを得なかった。縁日の露店はこの通には出ていない。九州亭というネオンサインを高く輝《かがやか》している支那飯屋の前まで来ると、改正道路を走る自動車の灯《ひ》が見え蓄音機の音が聞える。 植木鉢がなかなか重いので、改正道路の方へは行かず、九州亭の四ツ角から右手に曲ると、この通は右側にはラビラントの一部と二部、左側には三部の一区劃が伏在している最も繁華な最も狭い道で、呉服屋もあり、婦人用の洋服屋もあり、洋食屋もある。ポストも立っている。お雪が髪結の帰り夕立に遇《あ》って、わたくしの傘の下に駈込んだのは、たしかこのポストの前あたりであった。

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